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有吉佐和子さんの「華岡青洲の妻」は、嫁と姑との確執を描いています。 家というものを重んじ始めた頃から、「嫁」と「姑」の確執がない家はあまりないのではないかと思います。 明治時代の乃木将軍の奥様も、姑から「きつい嫁」と言われて、一時、奥様が家を出られています。 そうでないと、駄目だったのでしょうね。 姑とは、年齢が違いすぎることもありましたが、全く上手くいきませんでした。 姑にとっての「嫁」である私の存在は、「嫌な者」だったのです。 「息子を取った嫌な嫁」で、それ以外の存在ではなかったのです。 ですから、価値観の相違は当たり前だったのです。 それ以前の問題だったと思います。 価値観よりも前に、「嫁」という存在が嫌だったのです。 いてほしくない存在だったのです。 何をしても、何を言っても、駄目でした。 口数が多いと、それが災いし、口数が少ないと、「話もせえへん気かっ!」と怒られる。 そんな日々でした。 泣いている姿を見られたら、最悪でした。 「気を使う」と大声で言われました。 姑に「気を使わせてはいけない」のです。 嫁は何をしても当たり前なのです。 娘は何もしなくてもいいのです。 姑は、娘を求めていたのです。 でも、何もしない娘に育ててしまったのです。 姑のどの姿を思い出しても、そこには「息子を取られて寂しいよ。」と言っていました。 子どもを育てるのは、年老いたら面倒を看てもらうためだと言い切った姑でした。 でも、看たのは、姑が育てていない「嫁」の私でした。 姑の介護の時… 私は知的障害者の息子のことでも大変だったのです。 暴力をふるわれて、夜中にフラッシュバックを繰り返していました。 ベッドの上で、泣きながら暴れる息子を、落ちない様にと、必死になって… まともに眠れた夜はありませんでした。 それなのに、姑は4時頃には起きていて、「ご飯!」とドアを叩きます。 良く頑張れたと思います。 夜中に、病院へ連れて行ったことも、度々ありました。 明らかに病気でなくても、連れて行っていました。 夫がいなくても、一人で連れて行っていました。 連れて行くと、「自分のことをしてくれた」と満足するのです。 でも、この満足は一時的なものでした。 義姉たちは、何もしていません。 その義姉たちが、家の相続権を主張した時に、「嫁の謝罪と感謝」を求められました。 何もしませんでした。 ここまで、我慢しなくてもいいと思いましたし、第一、謝罪などする気もありませんでした。 何も悪いことをしていないのですから… あれから、義姉たちは今のところ何も言ってきていません。 365日24時間体制で、姑を自宅で看ても、「嫁」とは感謝もされません。 そういう存在なのです。 私は、姑や小姑を反面教師としています。 あのようなことは絶対にしません。 子離れを上手にしたいです。 息子は嫁に取られたりしません。 結婚とは、取るとか、やるとかの話ではありません。 二人で生きていくのです。 息子が結婚できたら、親として遠くから見守りたいと思います。 幸せであってくれたら、それでいいです。 健康でいてくれたら、それでいいです。 夫婦仲が良かったら、もっといいです。 結婚は息子がするもので、私がするものではありませんから… 姑との確執、小姑との確執を経て、私が私に課すことです。 子離れを上手にすること… これだけです。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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ユッコさんこんにちは |
ヤエちゃん 2010/08/29 15:48 |
こんばんは |
かん 2010/08/29 19:10 |
ヤエちゃんさん |
ユッコ 2010/09/11 14:01 |
かんさん |
ユッコ 2010/09/11 14:04 |
ユッコさんいつもコメントありがとうございます |
ヤエちゃん 2010/09/11 15:47 |
ヤエちゃんさん |
ユッコ 2010/09/26 10:18 |
ユッコさんへ |
ヤエちゃん 2010/09/27 15:25 |
ヤエちゃんさん |
ユッコ 2010/10/10 05:55 |
ユッコさんへ |
ヤエちゃん 2010/10/11 21:50 |
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